岩場が険しく前人未踏と思われていた剱岳。しかし明治40年、測量隊は山頂で、平安時代の錫杖頭と鉄剣が残されているのを見つける。
いつ、誰が置いたのか。登山道具のない時代にどうやって登ったのか。剱岳をめぐるこの最大の謎に、世界で初めてロビンソン・クルーソーのモデルとなった人物の住居跡を発見し話題になった、探検家の髙橋大輔が迫る! 考えられるあらゆる可能性を検証するため現地に何度も足を運び、当時使われたであろうルートから登頂して導き出した、その答えとは……
日本陸軍と日本山岳会による剱岳初登頂争いを描いた新田次郎の「剱岳 点の記」の終盤では、陸軍の測量士の柴崎と隊員のこんなやりとりが描かれている。
「われわれは剱岳の頂上に立ちました。しかし、絶頂には、われわれより先に登った人がいました」
生田が云った。
「誰だ、山岳会か?」
「いいえ、弘法大師です」
「なんだと……」
柴崎は冗談もほどほどにしろという目で生田を睨めつけた。
高橋大輔は「剱岳-線の記」で、その剱岳に初登頂した人物を突き止めていきます。
おもしろかったー!
著者は、実は最初から答えがわかっていてそれを実証するために、然るべき人に会い、然るべき資料にあたり、謎を解き進めていった経緯を逆再生して物語に編み上げたのではないかと思っちゃったくらい。手がかりがまったくないように思われていた奈良時代・平安時代の歴史の空白ビシビシと埋まっていき謎が解き明かされるくだりや、思いがけない伏線が最終章にバシッと登場してきたあたりでは、ゾクゾク・ドキドキしながら読み進めた。また文章がいい、優しさと品があってとても惹きつけられます、これは著者自身のお人柄なのではないかと思われます。
読書スピードにギアが入って、結末まで一気に読み進めるしかないという気持ちになったのは、ドニー・アイカーの「死に山」以来。山岳信仰や山伏にご興味のある方、最澄・空海の時代の仏教にご興味のある方、おかざき真里さんの「阿吽」を読んでモキューンとなっている方、山登りする方はぜひご一読を! おすすめします!
この本には、奈良・平安時代の佐伯有若・佐伯有頼親子から始まり、「佐伯」という姓を持つ人物が何度もでてきます。明治陸軍の測量につきあったのも現地の佐伯某、何度も引用されている『剱岳地名大辞典』を執筆したのは佐伯邦夫氏。彼の地に佐伯という姓のひとはさぞ多いことなのでしょう。読み終わったあと、立山の山岳信仰とは、立山曼荼羅とは一体どういうものだったのだろうと理解を深めたく、我々はAmazonへ足を踏み入れ一冊の電子書籍を見つけたのでした。
「霊峰立山の老神主 渾身の曼荼羅絵解き: -佐伯幸長 講演録-」。まさに「線の記」で紹介されていた雄山神社の老神主・佐伯幸長氏が、昭和61年に行った2時間にも及ぶ曼荼羅絵解きの書き起こしなのです。これはこれはなんとなんと。こういうデータにすぐアクセスできるようになったのは、ほんとうにインターネット万歳というしかありません。書き起こしてくれたお孫さんにも感謝です。こちらもちょびちょび読んでいきたいと思います。