北へ/吉村昭「間宮林蔵」

↑ 2015年に稚内枕崎鉄道大縦断の旅の際、宗谷岬で撮影してた。 逆光!

 

新装版 間宮林蔵 (講談社文庫)

極北の地を探検する不屈の男の物語が好きなのですが、そうだー間宮林蔵がいたー、うわーしかも吉村昭が書いてるーー読む読むぅーーーと読んでみました。素晴らしかった。

北海道という土地を思うとき、ゴールデンカムイを抜きにできなくなっていますが(私は)、この間宮林蔵の測量と樺太探索の物語は、まさに江戸時代が終わる直前の、ゴールデンカムイの前夜の蝦夷地が詳しく描かれていて、読んでいるだけで熱いものが滾ってくる。google map とWikipediaを傍らに読みふけった。この吉村昭は怖くないので、みんなビビらずに読んで~!!

※怖い吉村昭の一例
関東大震災 (文春文庫) 羆嵐 (新潮文庫) 陸奥爆沈 (新潮文庫)

 

間宮林蔵、常陸国筑波郡上平柳村出身、安永9年(1780年)生まれ、天保15年(1844年)没。1799年国後場所へ派遣され、同地にきていた伊能忠敬に測量技術を学び、1803年西蝦夷地(日本海岸とオホーツク海岸)を測量し、ウルップ島までの地図を作製した。1807年択捉会所にて文化露寇事件に巻き込まれる(読者には、彼の人生のものすごく長い伏線が始まったように見える)。1808年、上司松田伝十郎とともに樺太を探索、北樺太西岸のラッカまで至り、樺太が島であることを推測する(この北の旅の過酷さときたら)。1809年、宗谷まで一旦戻るも、改めて北樺太探索の旅へ出、北樺太西岸ナニオーまで到達、現地で知り合ったギリヤーク人(※ニブフ民族)の長とともに、清国の地方出張所のある黒竜江(アムール川)下流まで朝貢の旅に同行する。そこで、樺太が島であることをしかと確かめ、彼の名前は、フォン・シーボルトの手によって間宮海峡として世界地図に記されることになったのであった。完。

完じゃないっつの、そこからだっつの、そこから始まる冒険が終わった男の物語がまたこう、ね。

浦賀にペリーがきたから開国したのかと思っていたけど、ペリー以前にも外国船は日本各地の海岸線にやってきて、騒ぎを起こしたりこっそり輸出入していたりと交流がゼロじゃなかったことを知る。また、江戸時代から箱館以外にも蝦夷地やいまの北方領土にまで会所を設け、役人を派遣していたことも初めて知った。マジか! 江戸の役人、かなり探検してるじゃないすか! 文化の露寇事件では、ロシアの火力に腰を抜かした役人が敵前逃亡しただけでかなり厳しい罰をくらったり、それを恐れ自害した奉行がいたことも。樺太探検では、熊の毛皮を持っていくのだが全然役に立たない、どうしたものかと周囲を見ていると現地のギリヤーク人(ニブフ)は犬の毛皮を着ている、あ、そっかー、冬眠するような動物の毛皮が雪国の移動に役立つはずないかと気がつくところとか、なぜか胸熱! さらに樺太探検を終えて江戸に戻った間宮林蔵が、その見識を買われ幕府の密偵となり日本海側の諸藩の探索の旅に出て、商家に飾ってある椰子の実からそこで藩ぐるみで行われていた密輸入の実態をつかむあたり、かなりのサスペンス! また、水戸斉昭が間宮林蔵に接触してくるのですが、鶴見中尉みたいな北海道開拓の大構想を描いていたということも初めて知った。

この人にGPSつけさせたら一生でどのくらい移動したのでしょう。まさにエクスプローラー! お正月にぜひ読んでねー。いまならkindle unlmitend で解放中!

 

ゴールデンカムイ 31 (ヤングジャンプコミックスDIGITAL)

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