村上隆(むらかみりゅう)先生の「金銀銅の日本史」を読んだら面白かったので、土肥金山に行ってきた話

金・銀・銅の日本史 (岩波新書 新赤版 1085)

金属製品を通して日本の歴史・産業史を捉える「金・銀・銅の日本史(岩波新書)」を読んだ。なるほど、すごい。早速ですが金山に行ってみたい、しかし猫に毎日投薬の必要もあり泊まりで行くのは無理なので、と調べてみたら、西伊豆に「西伊豆 土肥金山 家族で楽しめる金のテーマパーク」があるではないですか。どんなところか知りませんが、早速行ってきましょう。

施設の概要を引用させていただきます。

土肥金山は、江戸時代に第一期黄金時代を明治時代から昭和にかけて第二期黄金時代を迎え佐渡金山に次ぐ生産量を誇った伊豆最大の金山です。推定産出量は金40t、銀400t。金山は昭和40年に閉山しましたが、(中略)黄金館に展示してある250kgの巨大金塊はギネスにも認定され、世界一の金塊を一般公開しております。

金色の鯉がわしゃわしゃいる庭園を過ぎ、坑道見学を。総延長約100kmの坑道の一部が展示されている。確かにちょっと岩盤が金赤色に見えて、金鉱脈を示すパネルもある。灯りも乏しい時代には大変な仕事だったと思う。ここで大変な苦労をして採掘された金が、明治維新の際にはざっくざっくなにかの間違いのように欧米に流れていったのかと思うと、複雑な気持ちに。同サイトの「土肥金山の歴史」を読むと、政治と密接な関わりのある金鉱山というもののありようがよくわかります。

昭和34年(1959年)、三菱金属株式会社(現三菱マテリアル(株))が経営に参加したが、高品位鉱の鉱量枯渇と、固定価格制度による金の廉価格(660円/g)に抗しきれず、昭和38年(1963年)採掘を中止しついに昭和40年(1965年)本邦有数の金山として君臨した土肥金山は閉山した。

続く黄金館では、金鉱山で使われていた道具や当時の土肥の町並みを再現したミニチュアや、巨大金塊が。

左が小さい12.5kgバー、重くて持てなかった。右が250kgの金塊。底面225x455mm、上面160x380mm、高さ170mm。現在の金価格高騰もあり、この塊が32億。もともと200kgあった金塊を平成17年(2005年)に250kgに更新したというのですから慧眼。2005年の金価格は1g 1,529円で始まって年末に2,192円になっているので、そのタイミングも絶妙。そしていま32億。

光り輝く三菱マテリアル印!! 素晴らしい! 
右は、館内の食事処で食べた穴子丼。食用金箔の使い方が豪快すぎる。

 

もちろん砂金掘り体験も行ってきました。既に砂金が掘れるようにセットされた浅いプールが並んだ場所で30分粘って、やっと何粒か採れた。大変な作業だった。そこで売っていた 0.1g の砂金をお土産に買い、自分が掘ったものと一緒にしたのが上の写真です。

砂をふるいにかけ、どんどん細かい砂だけが残っていく。その黒や茶色の砂の中に、キラッと光る金の粒を見つけることができる。この金を発見したとき、なにかの分泌物が体の中に発生するのを感じる。これが、金の、原体験!! 

日露戦争帰りの若い帰還兵が北海道に行ってそこらへんで道具買ってどうにかしようっていうのは、なかなか無理があるのではないかと思いました。

 

帰りに静岡の伊勢丹に寄って、静岡の伊勢丹では化粧品売り場で整理番号をもらわなくていいのかと感動していたところ、ふと見た舶来物のお高いサングラスのコーナーで試着したら、あらやだマダムサングラスが似合う年頃に。お値段見たら、普段だったら絶対手を出さない価格帯だったけど、また改めて大混雑の伊勢丹に行って並んで買うのもバカバカしいし、さきほどの32億の金塊の残像がちらついていたし(自分の人生とは1mmも関係ないんだよ? あの土肥金山の金塊!!)、細かいことがどうでもよくなってうっかり買ってしまいました。でも「サングラスすると紫外線の吸収が減るから体が疲れないですよ」というライフハックを耳にしたので、正しい衝動買いだったのです、えぇえぇおそらく!!!

 

Dior クリスチャン・ディオール サングラス GLOSSY1 584/LF

 

「金塊を見つけた戦争の帰還兵が、敵軍とまみえ、大変な目にあってしまう」映画SISUでも金鉱床が登場しますが、ああいうサイズの金塊がごろんごろんとラップランド地方にあるってぇの? うそーん。すごーい。ほとんど北欧地方のゴールデンカムイなのでご興味ありましたらぜひ~。アマプラで配信中。

SISU/シス 不死身の男

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください