盥から盥へちんぷんかんぷん/田辺聖子「ひねくれ一茶」

ひねくれ一茶

藤沢周平の「一茶」は、雪に閉じ込められた信濃の寒村での遺産相続で義母と揉める、それはそれは暗い暗いあぁもう財産があるばっかりに浮世ってやつぁと頭覆いたくなる物語でしたが、田辺聖子の一茶はとても明るい、です。義母とはうまくいかなかったけど(最終的には義母なりに円満な関係を築くことができたように描かれています)、お友達もたくさんいて、慕ってくれる俳句仲間もいて、ある程度の尊敬も得られ、それはそれはまぁまぁの人生だったと言ってもいいんじゃないかしら、どうかちら。

義母にいじめられて江戸に追いやられ、荒奉公を繰り返すものの仕事方面ではうまくいかず、俳諧の道に目覚めこれで身を立てると決心したものの、40歳になってもその世界では立身の目処が絶たず、しかし俳句の宗匠としては重宝がられ、各地のパトロンを訪ね滞在させてもらい「俺はこの年でも人の施しで生きているのか」と度々慄然とする、しかしながら「やっぱり旅と俳諧はやめられねえ」と関東をうろつく。五十近くになって、信濃の国にも俳諧仲間が育ち、「そろそろこっちに戻って来なさい。信濃の国であなたを必要としてる人たちがたくさんいますよ」と声をかけられ、江戸にようやく見切りをつけ国へ戻る。そして遅い結婚をし家族を持ち・・・。

「ひねくれ一茶」は一茶40歳のところから物語がはじまる。信濃から出てきたちょっと気の利かないちょっととろいひとを「椋鳥」と呼んだそうですが、そんな椋鳥が俳句の世界で身を立てようともがく。自分を追い抜いていく後輩たち、「あいつの俳句なんて誰が諳んじているのか」というような人間が宗匠として羽振り良くしているのを見て焦る一茶。しかしそんな焦りの中で田辺聖子は一茶の友人たちにこう言わせている。

「一茶さん、あなたの俳句は残りますよ」

そして江戸の時代から年月を経て平成の世、口をついてでる一茶の俳句の多いこと多いこと!

これがまあつひの栖や雪五尺
我と来て遊べや親のない雀
痩蛙負けるな一茶これにあり
やれ打つな蝿(はへ)が手をすり足をする
大根(だいこ)引き大根で道を教へけり
めでたさも中位(ちゆうくらゐ)なりおらが春
雀の子そこのけそこのけお馬が通る
涼風(すずかぜ)の曲がりくねつて来たりけり
名月をとってくれろと泣く子かな
椋鳥(むくどり)と人に呼ばるる寒さかな

ほんとうに、きちんと残ってます。物語の折々に惜しみなく一茶の俳句が挟み込まれていて、田辺聖子の愛情あふるるよい小説でした。

一茶 (文春文庫)
表紙からして暗い・・・。

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