ティム・ガンの眼から鱗の処世術/「ティム・ガンのゴールデン・ルール 人生をあきらめないための18の方法」

ティム・ガンのゴールデンルール

この人の動いている姿を見たことは一度もないのですが、顔の形から「ブレイキング・バッド」でウォルター・ホワイトを演じたブライアン・クランストンみたいな声なんじゃないかと思って、でも私は「ブレイキング・バッド」を吹き替え版で見続けたので、読書中はずっとブライアン・クランストンの吹き替えを担当した牛山茂さんの声で再生されておりました。なかなかによい!

現代に生きるファッション界の吉田兼好さんが世間についてブチブチ文句をしゃべり続けてるようなご本かと思ってましたが、そんなことはなく、久々に心の底から前向きになれる内容でした。もうこの読後の爽快感のまま、うっかりとティム・ガンにノせられてしまいたい!!

ハイテク機器が出現し、騎士道精神がとっくになくなり、若者たちが、インターネットの掲示板なら匿名で暴言を吐いてもいいと思いこむなど、悪い方向への変化が加速しています。
しかし、このような無作法の勢いにのまれてはいけません。本書はそのような事態への警鐘であり、思いやり、寛容さ、誠実さへの提言(マニフェスト)です。社会をより有効的で、上品で、攻撃的でないものにするために、みなさんもどうぞ力を貸してください。

 

(学生がティム・ガンに対して)「では、人生に関するアドバイスを」。私は応じました。
「第一に、人が何か話しているときは真剣に聞くこと。第二に、受け流す力を身につけること。何かにいらだったり、腹が立ったり、不満を覚えたりしても、自分までそのレベルに身を落としてはいけない。その場で争うのは避けよう。やりすごしたほうが、気持よく過ごせるものだよ」

 

礼儀正しくふるまうのは簡単し、そうすることで他の人たちをハッピーにすることができます。にっこりと微笑んでスターバックスのスタッフに誠実にお礼を言っている人を見たら、周りの人の心は(少なくとも私の心は)なごむでしょう。大きなスーツケースを持って電車に乗り、「お邪魔ではないですか?」と周りに気を使っている人を見ても、です。

 

行いの悪さは不幸の裏返しということがよくあります。社会に歓迎される市民であることを放棄し、世間に挑戦しているのです。「世間は私によくしてくれないのに、どうしていい市民である義務があるの?」と。

 

自分より下とみなした相手に失敬な態度をとる人は、そもそもが失敬な人なのでしょう。その態度は傲慢でもあります。自分がやりたくない仕事に就いてる人を見たときは単純に、「神のご加護がなければ、私もああした仕事をしていたのだろうな」と思えばいいのです。

 

嬉しいニュース、たとえば出産や結婚のお祝いなどだったら、Eメールでもいいでしょう。でもそうではなく、死亡や他の悪いニュースについては、もっとフォーマルであるべきです。(中略)
たとえば、従業員を昇進させるならEメールでもいい。解雇するときはだめ。Eメールで何かを頼むのはいい。断るのはだめ。
嬉しいときにはカジュアルでもいい。でも悲しい深刻なときには、その人ならではのパーソナルな表現が必要なのです。

 

私はサプライズ・パーティーには、断固として反対です。特に、次元の違う人達が関わってくるとなおさらです。

 

私は、人にアドバイスをする前に「言おうとしていることは、本当に相手の役に立つのだろうか?」といつも自分に問いかけることにしています。(中略)
もし友達と一緒にドレスアップしているときなら、「靴を考えなおしたほうがいいんじゃない?」と言うこともでいるでしょう。でも代わりの靴があるときに限ります。

 

過ちを打ち明けることで他人を傷つける恐れはないでしょうか。あるなら、黙っていましょう。

 

他の人を、自分の都合のいいように操作してはいけません。ルール2を思い出してほしい。世界はあなたになんの借りもないのです。私だって言いたい。私も、あなたになんの借りもないのだ!と。

 

境界をはっきりすれば自由になれるということ。境界線はいつでも変えられるけど、それが常にあることが大切です。(中略)だから、あなたができることをして、どこからができないのかをはっきりさせることは、誰にとっても大事なことなのです。

 

礼儀正しくあれ!!人にやさしく!

「社会に歓迎される市民であること」というのは礼儀正しさやお行儀の良さだけでなく、世間に受けいられる身だしなみをしている、言葉遣いをしているというこもと含まれていると思うの。その場にふさわしい服装をする、清潔にする。どうしてそんなでっかいバックルでお腹が大きいのをより際立たせるの、なんで爪の間が黒いのに営業にくるの、とかそういったものを是正するのもよいことと思うの。

先日、高速バスに乗って帰省し最寄りの停留所で降りたとき、私の前にいたおばさん(年配のご婦人なんて敬称はつけないわよ!)がバスの下のトランクに入れた自分のキャリーバッグを取り出そうとしていた。荷物入れのドアは運転手さんしか開けることができないので、彼女は乗車口に戻り運転手さんにこう叫んだの。

「キャリーバッグ!!!」

パードゥン? おばさん、おばさん、ナイロンのバッグを斜めがけにしただっさいおばさん、キャリーバッグが一体どうしたの? 「キャリーバッグを出したいんですが」とか「トランクを開けてもらえますか?」とかお願いの仕方はいろいろあるでしょう? 「キャリーバッグ!」と怒鳴ると自動的に扉が開いてあなたの目の前にそのバッグが姿を現したりするの? 運転手さんはそんなのに慣れっこでどうってことない顔で運転席から降りてドアをあけて取り出していたけど、私は運転手さんの心の寛容さというかなんとも思ってない風情に心を打たれつつも(まぁ本人は乗車料金がなにか喋ってるくらいにしか思ってなかったのかもしれないけど)、「このおばさんも人になにか頼まれごとをされるときに、名詞しか言われてないのよね、きっと」と思いながらそのやりとりを見つめていた。旦那さんに「飯!」とか「風呂!」とか「金!」とかしか言われてこなかったんだろうな・・・・いやぁーそんな生活いやぁぁー! 「飯!」とか「水!」とか「背中!」とか「顎!」とか名詞だけでコミュニケーションしていいのは、ウカちゃまだけですよぅ!

飲食店での会計で「領収書!」って怒鳴ってるおじさんも多いけど(領収書おねがいします、でしょ?)、人にお願いをするとき、名詞しか言わないクソババアにはなりたくないし、絶対ならないわ! 人にやさしく、礼儀正しく、ショップの店員さんとは目を合わせ、きちんと文節を使ってコミュニケーションを取れるえぇ年したおばさんとして生きていきたいと思ったの! 思ったのー!!!!

あとなぁ人の仕事に余分な副詞をつけないで! 「ちゃちゃっとできるんでしょ?」の「ちゃちゃっと」はなにを基準にしてるの? 「適当にやっといて」であとで修正しろっていうのもやめて。「さくさくっと片付けて」の「さくさくっと」はだいたい何分くらいの作業と見積もってらっしゃるの? 人格と仕事してるわけじゃないけど、余分な副詞つけないほうが物事はスムーズに進むと思いますの。

10月の終わりに市ヶ谷の小さな郵便局で納税したとき、局員さんがキャンディとチョコを詰めた小さなお菓子袋をくれたのです。「そろそろハロウィンなので」と郵便局員さんが窓口の中からおっしゃるということは前フリと理解し「お礼に強盗とかしてきましょうか?」とお応えしました。局員さんたちがうふふと笑って「それには及びませんよ」とのご返事。あぁ市ヶ谷はいいところだ、これからもずっとそのノリでやってもらいたいものですじゃ。上場なんかしなくてもよかったのよー!!!! ふんがー! 

週刊東洋経済 2015年 9/5号

4 COMMENTS

のの吉

>余分な副詞つけないほうが物事はスムーズに進むと思いますの。

心します。

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ukasuga

いやー面白かった。人はまず社会の一員として礼儀正しくないとね。
もっとファッションの話が多いのかと思ったら、そこは少なかったのね。その点も意外でした。

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